日本でも身近な健康法になっているヨガ。インドで生まれたヨガは、どのようにして日本に伝わってきたのでしょうか。

奈良時代に伝わる

ヨガが最初に日本に伝わったのは、奈良時代だと言われています。806年、唐にわたった空海が、ヨガの知識を持ち帰ったとされます。

瑜伽(ゆが)

以来、日本ではヨガは「瑜伽(ゆが)」と呼ばれていました。仏教や神道の理論を学んだり、修行をしたりする際に、学習項目の一つになっていたといいます。このため、ヨガの哲学は、日本人一般の心の深層部分に組み込まれていると評する専門家もいます。

大正時代の中村天風

大正時代になって「ヨガ」という言葉が広まっていきますが、その立役者は中村天風氏です。

天風は明治9年生まれ。本名は三郎。貴族の息子で、若いころから日本政府の軍事スパイとして活動したことで名を馳せました。

グルと出会い、ヒマラヤ修行

天風は30歳くらいのころ重い肺結核にかかり、救いを求めて欧米へと旅に出ます。旅先のエジプトで、インドから来ていたヨガの導師(グル)に遭遇。「正しい生き方」に目覚めます。 そして、ヒマラヤでヨガの修行を重ねます。その結果、結核を完治させるとともに、悟りを得たといいます。

知識人らにヨガを広める

帰国してからは、実業界で活躍する一歩で、ヨガの普及に尽力します。43歳(大正8年)になると、自らの悟りを広めるために「天風会」という団体を設立。 山本五十六、宇野千代らが門下生となります。92歳で亡くなるまで、天風会を通してヨガを広めました。

昭和のヨガブーム

昭和になると、ヨガが一般に広く知られるようになっていきます。このブームの中心となったのが、沖正弘氏です。沖氏は第二次世界大戦に日本政府のスパイ活動の一環として、インドや中国で様々な宗教の修行を受けます。そして、戦後再びインドにわたり、ヨガにを修得します。

沖ヨガの総合的アプローチ

沖氏は帰国後、日本に本格的なハタヨガを導入。日本ヨガ協会を設立するとともに、全国各地にトレーニング施設を設け、ヨガの普及に励みました。東洋医療や禅なども組み合わせながら総合的にアプローチする手法は「沖ヨガ」とも呼ばれ、多数のヨガ実践者を生みました。

美容法として普及

2000年代からは、より身近な健康法・美容法としてヨガが親しまれていきます。専門のヨガ教室だけでなく、スポーツジムやカルチャーセンターなどでヨガのレッスンが一般的に行われるようになります。

ホットヨガ専門店が全国展開

2010年代になると、ホットヨガがブームとなり、ホットヨガの専門施設が全国に誕生。ダイエットや健康づくりを目指す若い女性に支持されるようになりました。 簡単な「リラックスヨガ」から強度の高い「パワーヨガ」まで、レッスンの種類も多彩になっており、ヨガは今後ますますすそ野が広がっていきそうです。